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「扉風購入は株買い戻しの一環として行われた。
一九八五年七月下旬ごろ、Y画廊青山庖で、M氏と会った際、M氏は四つ折りの紙を取り出した。
(私は)三億円がT氏側に渡ると認識していた」また、Sとの交渉については、一九八五年五月から二月までに十数回会った。
その際、「S氏は、『時期が来ればH相銀に(自分が持っている)株を戻す。
株で儲けようとも、経営に参加しようとも思っていない』などと話した」とも証言した。
また、Tの秘書のAについて、Iは、Sが取得したH相銀株式を買い戻すためには、当時蔵相だったT側と接触する必要があると判断し、一九八五年六月一八日、東京・銀座の料亭「M」で会った。
「株を買い戻して自主再建を図る方針をTさんに伝えてほしい」と要請したところ、青木秘書は、「Iさんの趣旨はよくわかった。
S社長とは古くからの知り合いで、(一九八五年)三月末にT事務所に来られて、『H相銀株を買ったのでよろしく』と挨拶を受けている」と答えた、と証言している。
MはIの証言後J代理人の弁護士を通し、「扉風を買えば株式を買い戻せると、その証言をI氏らにいったことはない。
『S十五、T』などというメモを書いたこともない」とI証言を全面否定するコメントを出した。
Aは、T事務所の総括責任者であり金庫番であった。
Aの登場によって、事態は動いた。
Kの特命を担当し、Eの死後はI事務所で秘書をやったYは『謀略の金扉風』(T社刊)で、こう書いている。
A秘書は自分の直通の電話番号をI氏に教えていたのです。
A秘書との会談で、I氏は、T蔵相が株の取り戻しに動いてくれるという感触を得たのでしょうか。
A秘書に会わなければ、I氏は、M氏の金扉風の話に乗せられることはなかったのかもしれません。
結局、この会談から一ヵ月半ほどで、I氏とH相銀経営陣は、金扉風を使って、裏ガネを作り、T蔵相に動いてもらおうと決意するのです八月一五日に「金蒔絵時代行列金扉風」の売買契約が締結された。
八月一七日に二0億円、九月一七日に二0億円が支払われた。
カネは、Iが所有するコンサルティング・F社からY画廊に支払われ、同じ月にH相銀からK社へ二0億円と二一億円の合計四一億円が融資された。
融資額と支払額の差額一億円は手数料とみられている。
Sは『SM』(一九九三年三月七日号)のインタビューで、仕組んだのは、縦Y画廊のMさんですよ。
「T五億、私三億」(私注一I証言では、S十五億、T三億)などのメモの話も、Mさんが交渉の中で(自分を)有利にするための演技でしょう。
(中略)金扉風の四0億円は、私にもTさんにも流れていない。
Mさんが一人で使ったのですよ。
こう言いつつ、M単独の詐欺説を展開した。
金扉風スキャンダルには、冒頭に挙げた馬毛島事件の右翼の大物、Tの名前が登場する。
IはTを介してMグループに金扉風の買い取りを依頼したといわれた。
金扉風について、Tは沈黙を守り通した。
検察は動いたが、真相は聞に包まれたままだ。
ところが、一九八七年に起きたNK党のほめごろし事件によって、封印されていたH相銀の買収に絡む政界の暗部に薄い光があたった。
ターゲットとなったTは、円形脱毛症になるまで精神的に追いつめられ、ついにはポストN争いからの離脱まで口にするようになったという。
さらに、複数のJ党の大物議員が街宣阻止に動くという異常事態に発展した。
K党事件は、最終的には暴力団N会のI・会長が乗り出して収拾された。
暴力団のドンが、T総理の誕生を後押ししたという。
前代未聞のスキャンダルだったことが明らかになった。
K党は当時、まだ無名の右翼団体で、黒幕は誰かが注目された。
Tを師と仰ぐ、Sの創業者のSが、Kに叛旗を翻して一派を立ち上げたTに対する復讐をしたのだといわれた。
Tも、金扉風事件ではTに煮え湯を飲まされたため、Tに関するスキャンダルをK党に流したのではないか、という説が暗かれた。
合併の陰の立て役者N会会長・Iの経済ヤクザとしての出発点は、H相互銀行事件である。
H相互の株式の買い占めの舞台裏では、さまざまな人聞が動いた。
蔵相・Tの秘書・AやY画廊社長のMだけではない。
政治家、右翼、暴力団が群がった。
Iも、その一人だ。
Iは、H相銀の創業者、Kとは親しい関係にあった。
海軍通信学校の後輩で、Kの側近であった不動産会社社長の紹介で、Iが経営する巽産業が融資を受けられるように取りはからったのが付き合いの始まりだった。
Iは、「聞社会の貯金箱」と呼ばれたH相銀に押し寄せてくる右翼、暴力団の防波堤となる。
アングラ社会からの攻撃を抑えたキーマンがIだった。
Iを味方につけるために策動したのはIである。
Iは、韓国賭博ツアー事件の弁護団に加わり、Iが服役中にIの愛人のマンションが競売にかけられたとき、H相銀から五五00万円を融資し、救いの手を差し伸べたことがある。
共同通信は、Eの元側近の一人の証言を引き出している。
IにとってIは恩人なんです。
Sは、Iの後ろにIがいることを知って二人を切り離そうと、Iに接触する。
I、Sの両サイドが入り乱れて水面下で(I取り込みの)工作が行われたんです。
IがSと手を組んだことを知ったIは、Iさんはけしからん男とつぶやいたという。
Iを説得したのは、K・元首相だったと金融界では信じられている。
H相銀買収劇には実にさまざまな人士が登場してくるのである。
H相銀事件では、Iは表面にはいっさい出なかった。
だが、IがSHS銀行陣営についたことで、勝負は決まった、といっていい。
合併反対派に与する裏社会の嫌がらせは完全に抑え込まれた。
S銀行によるH相銀との合併の陰の立て役者は、Iだった。
その謝礼が、ゴルフ場・Iカントリークラブの譲渡である。
Iカントリーは、H相銀系列のTクラブが茨城県で開発中のゴルフ場だった。
同ゴルフ場を運営するためにつくられた会社がI開発で、当時の社長はH相銀のオーナー一族のKである。
一九八六年一0月、H相銀はS銀に吸収合併され、TクラブもS銀の管理下に入った。
その二ヵ月後、I開発は東京S(現在のS東京支社)に売却された。
売却金額は四八億円だった。
このとき、売却契約の立会人になったのがK社長のSである。
H相銀の創業者、K一族からH相銀の株式を買い取り、S銀によるH相銀合併劇を成功させた真の立て役者はSだと、績々書いてきた。
I開発の経営権を手に入れた東京Sは、土地買収を進め、ゴルフ場を完成させた。
このとき、土地買収資金を融資したのが東京Sの関連会社、北東開発などであった。
一九八九年、SがI開発の代表取締役に就任。
三000万円の資本金を第三者割当増資で八000万円に増資した。
新規に発行した一000株(一株五万円)のうち六00株はIがオーナーのT、残り四00株はS自身が引き受けた。
一九八四年一0月に韓国賭博ツアー事件の刑期を終えて出所したIは、「仲間内で(パクチの)カネを取り合うのは時代遅れ。
これからのヤクザは税金をきちんと払わなくてはいけない(H正業につけ、という意味だろうこと言って、自分自身も合法的ビジネスに進出していった。
「N会経済部」といわれたH産業をはじめ、不動産業のTやK産業、金融のTファイナンスなど多数の会社を設立した。
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